弁護士として何を重んじるのか?
先日,「先生は戦う弁護士ですよね?」と言われ,とまどいました。
まず,私は,温厚で優しい人格です。決して攻撃的でも,他者を非難して喜ぶ趣味もありません。しかし,私は,多くの事件で,ある意味,確かに,受任する時点で戦うための「何か」をもって事件に当たっていると思います。
例えば,誰がやっても必ず勝てる事件で証拠も十分あって,勝訴すれば沢山の報酬がもらえる事件などは,率直な話,あまり興味がありません。もちろん,事務所を経営していく上ではそういう事件はありがたく,必要なのです。ありがたくやらせて頂いています。
ですが,それを「私」がやる意味はあまりないのです。
高尾山に登って喜んでも仕方がないではないですか?
むしろ,一見証拠が少なくても,その人の望む正義が適うべき事件というのは,時間もかかるし,報酬に反映されないことも多々あるのですが,気合いが入るという側面があります。
常に,弁護士として私は,「証拠」もさることながら,「依頼者」の話を聞き,「依頼者」を信じることが第一だと思い,職務を行っています。
その「依頼者」の求める「正義」を,「証拠」で裏付けていくように,主張することが私の職務であり役割です。「証拠」が先にあるわけではなく,生きた人間である「依頼者」が先にあるのです。そのような依頼を受ける際の私の基準は,あなたのその「正義」に共感できるか,その実現のお手伝いをしたいかどうか,です。
そういう中で,証拠が弱い,正直,足りないケースでも戦うときがあります。そういうケースのときに,私は自分自身「戦う弁護士」になっていると感じます。
その姿勢から,新たな証拠を発見したり,相手の主張の矛盾を見つけたりして,難しいケースでも道を開くことにつながることがあります。
富士山とはいかなくてもアルプスを登る方が楽しいと,そういうことです!
ちなみに私は,登山をしたことはありません。